豊臣秀吉の正室・北政所ねねが慶長11年(1606)、秀 吉の菩提を弔うために開創した寺で正式名は高台寿聖 禅寺。寛永元年7月(1624)建仁寺の三江和尚を開山と してむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家 康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行な ったので、寺は荘厳を極めたという。しかし寛政元年 (1789)以後、度重なる火災で多くの堂宇を失い、現在 残っているのは、開山堂と霊屋(おたまや)、茶室の傘亭・時雨亭、 表門、観月台等で国の重要文化財に指定され、桃山時 代の華麗な面影を伝えている。中でも霊屋の須弥壇や 厨子に描かれた高台寺蒔絵はあまりに有名だ。 |
庫裡 | 勅使門 |
豊臣秀吉の正室ねね(北政所・高台院)が秀吉の菩提を弔うために創建された。 臨済宗の古刹。 |
|
徳川家康の援助もあって、寺観は壮観をきわめたという。 創建当時の建物が多く残る庭園は小堀遠州の作と伝えられる。 |
|
唐門 |
◆高台寺の歴史 慶長11年(1606)豊臣秀吉の菩提を弔うため正室・北政所ねねが建立した臨済 宗建仁寺派の寺院。北政所は出家後「高台院湖月尼」と称し、これにちなんで寺 名がつけられた。小堀遠州作と伝わる庭園(史跡・名勝)、伏見城から移築したと いう茶室・傘亭(かさてい・重文)と時雨亭(重文)など、華やかな桃山文化を偲ばせる建築 や寺宝が数多く残されている。 |
高台寺から望む八坂の塔 |
鐘楼 | 霊山観音 |
北政所が後陽成天皇から贈られた号が高台院であるところから高台寺の名がついている。 鷲峰山(じゅぶさん)臨済宗建仁寺派の寺である。 慶長10年(1605)豊臣秀吉の夫人北政所(高台院)が秀吉の菩提弔うために創建した。現在の開山堂、 ねねをまつる霊屋(たまや)、表門、観月台及び茶室の傘亭と時雨亭は創建時のものでいずれも重文に指定されている。 霊屋には秀吉夫妻の木像を安置し須弥檀(しゅみだん)及び屋内の蒔絵は高台蒔絵として名高い。 池泉鑑賞式の庭園は、小堀遠州の作と伝え国の史跡・名勝に指定されている。 霊屋につながる廊下臥龍廊(がりょうろう)を半世紀ぶりに修復。その屋根瓦を再利用した。(2011-10-10) |
霊屋(おたまや・重文)には、秀吉と北政所の坐像が安置されている。その厨子扉や須弥壇
には、「高台寺蒔絵」と呼ばれる、漆工芸美術の粋を集めた美しい蒔絵文様が施 された。普段厨子の扉が閉ざされている霊屋本尊・大随求菩薩像は、「京の冬の 旅」期間中掌美術館にて特別にご開帳される。また、霊屋と臥龍廊で結ばれた開 山堂(重文)には、秀吉が使った御座船の天井と北政所の御所車の天井をその まま用いており、天下人の栄華と夢を偲ぶことができる。 |
三面大黒天 |
、